2013 週刊文春 1/17号

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週刊文春 2013年1月17日 新春特別号

文春図書館 活字まわり
「世界の全ての記憶」 植島啓司 23

 麻雀のプロは、勝ちを積み重ねた人種ではない。負けて、負けて、ひたすら負けてきた者たちなのである。おのずと、身にまとう空気のようなものが変わってくる。どれだけ強かろうと、どれだけ最善を求めようと、ときには交通事故のように不測の死を遂げる。彼らはそれを知り抜いている。だから、ある種の覚悟に加え、独特の他者への眼差しが生まれるのだ。
 この一年で最も印象に残った本といえば、やはり宮内悠介盤上の夜』に尽きるだろう。SFというかギャンブル(ゲーム)小説というか、ジャンルを横断するいくつかの短編からなるこの本はどれも魅力たっぷりで、なかでもタイトルとなっている囲碁を扱った「盤上の夜」には、まさに圧倒されたと言ってもよい。
 麻雀を扱った「清められた卓」の結末もなかなかみごとで、年末年始麻雀に没頭するぼくにはいい刺激剤となる作品だった。冒頭の引用はその中の一節。囲碁や将棋と違って、麻雀はどれだけ最善を尽くしても勝てないことがあるわけで、そうなると麻雀のプロというのは自然とほかの種目のプロとは性格が違ってくるという指摘である。どんなに入念に仕組まれたプロの罠も初心者の「運」によって簡単にひっくりかえされてしまうし、どんなにあがいてもすべてが逆効果となる時間帯だって存在している。そんなとき、囲碁や将棋を「まるで人生のようだ」とは思えない人でも、麻雀については必ず自分の人生とダブらせてみることになるのである。
 ぼくが十代の頃、囲碁・将棋を捨てて麻雀に突き進んだのも、「運」の不確かさに手を焼くとともに、その不思議な動きの正体をなんとか突きとめたいと思ったからだった。それから五十年たって、運についての理解が深まるにつれて今度はまったく勝てなくなるのだから、その奥深さには脱帽といってよい。「勝つこと」と「知ること」は必ずしも一致しないのである。


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