週刊文春 2012年3月22日号
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「世界の全ての記憶」 植島啓司 14
ゲイであることを公表しているポップスターのジョージ・マイケルは、自分の持つ特殊な才能について聞かれたときに、こう答えた。「君にはわからないよ。スーパースターをつくる何か特別なものがあるわけじゃない。むしろ、何かが失われているんだ。」(クライブ・ブロムホール『幼児化するヒト』)
週末、東京ドームシティホールに「初音ミクコンサート」を見にいってきた(そして、いまは東大寺のお水取りに来ている。すごい落差!)。初音ミクのことは以前からバーチャルなアイドルとして名前だけはよく知っていたのだが、ユーチューブでも200万ビューとか500万ビューといった人気を誇っており、いよいよ一度見ておかなければと思ったのだった。世の中の何かが大きく変化する予兆のようなものをビビッと感じたのである。
実際にコンサートに出かけてみると、アニメ好きオタクばかりと思ったら、意外と女の子もたくさんいて、ものすごい盛り上がりだった。バンドもバックダンサーも全てリアルな人間で、初音ミクだけがバーチャルというところが面白い。彼女はボーカロイドとして、3D映像としてステージに君臨するものの、しかし、どうしても何かが欠けているという印象を拭えない。
彼女には何かが欠けている。しかし、それが彼女の武器ともなっている。その欠落感がこちらの心をわしづかみにするのだ。では、彼女に欠けているものとはいったい何か。「成熟」である。つまり、彼女の魅力の源は「未成熟」ということ。初音ミクのコスプレをしたかわいい女の子と二人で見たのだけれど、そこには「セックスレス」とか「ユニセックス」とかいう理解の入り込む余地がない。男も女もない。いったんその魅力にとらわれると、フツーの女の子が不純に見えてくるから困ったものである。お水取りにやってきて、どちらの催しもそんなに大きくは違わないとわかったのだった。