1989 現代思想 7月号( Vol.17- 8)

現代思想 七月号 第十七巻第八号 特集= 消費される<大学>
青土社
1989年7月1日 発行

P238- 249 短期集中連載 宗教儀礼と民族芸術 2
バリ島のトランスダンス 2 植島啓司

1
 本来トランス(憑依現象)とは不可視の領域と交流するための文化的な装置である。一般的な定義としては、「一種の分離状態。自発的動作の欠如や、多くの場合、催眠的状態とか霊媒的状態に示される。行動と思考における自動症によって特徴づけられる状態」とされている(1)。ただし、その基本的なポイントは、精神の負荷をできるだけ少なくして外部からの(感覚的あるいは霊的な)インプットが抵抗なく入るようにすることであろう。その時にはいわば全身が感覚器官となるのだ。つまり、エモーショナルな領域を通じて、これまでのコミュニケーションの概念ではとらえられない特殊な意味の形成回路が生ずることになるのである。 グレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミードによるトランスの定義は次の通りである。

トランスとは、一定のインターバルをもって訪れるある種の極端なコンセントレーションの経験である。熟練した人間ほど強いトランス状態に陥ることが多く、彼等は自分自身の身体を通して神々や祖先たちに語らせ、それによって人々は直面する問題になんらかの示唆を得るのである。トランスに陥った人間は、覚醒に至るまでに、バリの宗教儀礼で必ず見かけるありとあらゆる激しい動作を繰り返す。そして、舞台の上以外ではまったくふさわしくないような激しい悲しみや怒りの感情をあらわにするのである。彼らは、トランスから覚めてふたたびポカンとした空しい状態に戻るまで、それを幾度も繰り返すのである(2)。

 すなわち、トランスによって、人々は日常的な思考回路を外れて、ランダムな選択肢の多い別の回路を開き、それによって超自然的な領域とのコミュニケーションを確保するのである。われわれは、トランス状態についてさまざまな角度から検討を重ねてきた。そして、その結果、トランス状態そのものの性格を規定する場合、その状況を本人がどの程度コントロールできるかという視点で見るのがもっとも好ましいやり方であると考えるに至ったのである。自分自身の陥った状態をまったく把握できないような状況から、それを自らコントロールして託宣を伝えたり宗教儀礼を執り行なったりできる状況に至るまで、さまざまな段階が存在している。もちろんそうは言っても、まったく把握困難なトランス状態は無意味であるかまたはきわめて危険であるかのどちらかなので、それぞれの社会の文化的な伝統にしたがって、ある種の枠組の中に嵌め込んでやらなければならないであろう(3)。 バリ島の場合、トランスはきわめて様式化された身体表現と、音楽と、儀礼シナリオとによって、文化的な装置としての役割を果たしているのである。つまり、そこではトランスはまったく気まぐれな一種特異な出来事というのではなく、社会的な秩序ともかなり密接にかかわっているのである。 われわれは、バリ島におけるトランスのシステムを基本的には二つの要素から考えてみたいと思っている。すなわち、(1)バロン・ダンスと(2)サンギャンというバリ固有の二つの不思議なトランスダンスがそれで、それぞれの性格分析、比較、分布状況のマッピングなどによって、トランスがバリでどのように機能しているかを明らかにしたいと考えている。
 たとえば、J・ベロは『トランス・イン・バリ』(一九六〇)において、バリのトランスの体系を次のように分類している。

(1) 呪医(Trance Doctors)によるトランス。一般にバリアンとよばれる宗教的=呪術的職能者は、病気治療などに際し、トランスに入って、祖先の霊と接触し、その原因をつきとめるとされている。
(2) 宗教儀礼の時に見られる霊媒的所作。
(3) ランダとバロン。
(4) バロンとともに戦うクリスダンサー。
(5) 祭礼の際、観客の中で起こる突発的なトランス。ただし、その場合も、トランスにはいる人々は前もってほぼ決められている。
(6) 子どものトランスダンサー。人々を悩ませる災厄、疫病、天変地異などを鎮めるために、幼い少女が選び出され、神憑りになって踊り、託宣を得る。
(7) フォーク(ある地域に特殊な)トランス。ここでは、バリ島東部の山岳部に見られる特異なトランスを指している。その地域のトランサーは、猿、馬、仔犬はおろかポットの蓋やランプにまで変身してしまうと言われている(4)。

 以上のベロによる分類はかなり恣意的なもので、もう少し単純に整理することができるのではなかろうか。(1)(2)はいわゆる呪術的=宗教的職能者による意識的なトランスであり、(3)(4)(5)はバロン・ダンスの際に見出されるもの(5はそれ以外の場合にも起こりうる)と言うことができよう。そして、(6)(7)はともにサンギャンという名で呼ばれているのである。
 すなわち、バリのトランスの体系は、呪術的=宗教的職能者による場合を除けば、伝統的な二つのダンス(劇)と不可分の関係にあると言うことができるのである。ともかく、われわれは、もうすこしバロン・ダンスについての考察を続けたいと思う。それから後に、これまでほとんどその実態が知られていなかったサンギャンについての報告に入りたいと考えている。

2
 さて、通常のよく見られるバロン・ダンスは、かなりストーリーが洗練され整備されてきており、その筋書きにしても、チャロナラン劇であるとか『マハーバーラタ』からとられたモチーフと重ね合わされて、ますます物語性が強調されつつあるように思われる。
 そのかわり、かつて見られたような<何が起こるか分からない>といったハプニングにたいする期待感は次第に薄れてしまったのである。それまでの時間的な制約であるとか場所的な規制から比較的自由であったバロン・ダンスは、特定の時期に、一定の時間内で実施されるようになって、またさらに、舞台と観客といった分離、演技者およびそれにかかわる参加者と他の村からの一般的な観客とのあいだの意識の相違などによって、次第に本来の儀礼の性格を変化させざるを得なかったのである。
 聖獣バロンと魔女ランダとのコズミックな戦いと、それに加わって魔女ランダによって深いトランスに陥れられてしまう人々といった基本的なモチーフはもちろん不変だが、それを取り巻くさまざまなセッティングは、まったく一変してしまった。それについて、すこし詳しく検討してみよう。
 まず、現在バトゥブランで毎朝行なわれてバロン・ダンスだが、それは観光客を対象としたもので、もっとも典型的にバロン・ダンスの現状を伝えるものと言っていいように思われる。そこで、バロン・ダンスは『マハーバーラタ』のサドゥワ王子の物語と結びつけられており、演劇的要素がさらに一層強調されている。
 その概略を簡単に示しておこう。まず初めに、聖獣バロンとその従者の猿が登場し、ユーモラスなしぐさで観客を笑わせる(5)。それが一段落すると、王国の家来たちが登場し、狂言回しの役割を果たす。彼らは口々に国で起こっている事件について語り合う。それによると、王妃クンティは、自分の息子のサドゥワ王子を女神ドゥルガに生贄として差し出すようにと命じられており、国中が悲しみに包まれているのであった。
 さて、彼らと入れ違いに魔女の弟子たちが登場し、王妃クンティと大臣に呪いをかけ、サドゥワ王子を連れ出し、森の大木に縛りつけてしまう。そこに魔女ランダが現れる。彼女はサドゥワ王子を殺そうとするのだが、彼の運命を憐れんだシヴァ神によって不死にされた王子を殺すことができない。ランダは、自分の敗北を認め、死を覚悟するが、それも結局はかなえられず、最後には、バロン(王子が変身する)とランダのコズミックな戦いとなる。それがクライマックスである。ナイフ(クリス)を手にしたバロンの従者たちが魔女ランダによってマジックにかけられ、自分たちの胸にナイフを突き立てる有名なシーンが最後に用意され、バロン・ダンスは幕を閉じることになる。
 以上がバトゥブランにおけるバロン・ダンスのおおまかな筋書きであるが、舞台で演じられるため、かなり形式も整えられており、儀式的なニュアンスはほとんど失われてしまっている。つまり、バトゥブランでは、すでに厳粛さよりも観客を楽しませることに重点がおかれており、魔女ランダも、どちらかと言えばトリックスターのような性格づけがなされており、全体にユーモラスな雰囲気が漂っている。もちろんそれはそれでいいのだが、本来の儀礼的な意味合いはそこでは表現されず、もともとのバロン・ダンスとは大きく異なってきてしまっていることも確かなことだろう。物語はさらに複雑になっていく傾向を示すが、その根底にあるのは、当然のことながら、バロン・ダンスそのものの「ヒンドゥ化」という現象である。当初は、バロン・ダンスの背景にあったのは、かなり単純なフォークロアであったと思われるが、それが後に東ジャワのチャロナラン伝説と結びついたりしてさまざまに変化を重ね、現在では『マハーバーラタ』のエピソードと結びつくまでに至ったわけである。
 われわれは、すでに、一九三八年のデンジャラン(バトゥブラン)のバロン・ダンスについては、その儀礼シナリオを略述した。それからすると、一九八八年のバトゥブランのバロン・ダンスは、まったく想像できないほど変化してしまっているのである。その詳しい比較は後にまわすとして、われわれは、ここでさらにタバナンのクランビタンで一九八八年に演じられたチャロナランの儀礼シナリオを参考に取り上げてみたいと思う。

3
 一九八八年七月二八日にクランビタンで行なわれたチャロナランの背景となっている物語を簡単に要約してみよう。
 かつて東ジャワに二つの王国があった。ヴィシュヌ神の生まれ変わりとされるエルランガ王の統治する王国と、シヴァ神の生まれ変わりとされるワル・ナタ・リング・ディラという寡婦の統治する王国である。ディラは、その力によって、エルランガの人々にしばしば災いをもたらし、多くの人々が、疫病にかかったり、死んだりしたのである。エルランガ王は、高僧ムプ・バラダに救いを求める。バラダは、ディラの娘ラナ・メンガリと自分の息子ムプ・バフラを結婚させて、ディラのマジックの秘密を見つけ出そうとする。
 ところが、結婚は行なわれたものの、ディラの悪巧みはいっこうに止むこともなく、しまいには、エルランガ王のもとに毒の入った食物を送ってくる始末であった。ムプ・バラダは、それを知って怒り、ラナ・メンガリを母親のもとに返すことにした。彼は、大臣のマハ・パティ・パンドゥン・マグナにその役を頼み、大臣は強制的に彼女を追い返してしまう。
 ディラは娘のラナ・メンガリが戻されたのを知って怒り狂い、ついに戦いの火蓋が切られることになる。物語の上では、戦いはディラ側の敗北で終わるのだが、バリでは「善悪の戦いには終わりがない」(”RUA BHINEDA”)という哲学があるため、劇中で決着がつくことはない。それはこれまでにも見てきた通りである。
 さて、チャロナラン劇そのものは、以上の物語のなかばあたりから始まることになる。それをパフォーマンスの展開にそって十一の場面に分けて示してみよう。
(一) エルランガのプマンク(聖職者)が登場して供儀をとりおこなう。ディラの弟子の悪霊たちが次に登場し、血にまみれた生贄をむさぼる。
(二) エルランガの家来たちが、テテカンという竹の楽器を使って、ディラの弟子の悪霊たちを追い払う。
(三) 次に、エルランガの従者が二人現れて、いかに多くの人々が疫病にかかったり、死んだりしているか、口々に語り合う。
(四) ムプ・バラダが登場して、ディラの娘のラナ・メンガリを通じて、ディラのマジックの秘密を知ったと言う。そこに、突然ディラの二人の召使いが現れて、国王に毒の入った食物を運び込もうとする。ムプ・バラダは怒って、大臣にラナ・メンガリを追放するように伝える。
(五) 大臣のパティ・パンドゥン・マグナは、王女ラナ・メンガリのところに向かう。
(六) ラナ・メンガリの侍女が現れて、エルランガで多くの人々が死んでいくのを誇らしげに語る。
(七) ラナ・メンガリが現れて、将来は事実上自分がエルランガを支配することになるだろうと宣言する。そこへ大臣が到着し、ラナ・メンガリに国に帰るように説得する。しかし、彼女はそれを拒絶し、結局、大臣によって追放されることになる。
(八) ディラの眼に見えない従者チュルルが、エルランガにやってきて、エルランガの人々をおどかして、ラナ・メンガリを彼女の国へと連れ帰る。
(九) ディラは、娘が追放されたことを知って怒り狂い、自分の姿を魔女に変身させて、エルランガへと向かい、マジックによって多くの人々を死に至らしめる。
(一〇) 大臣のパティ・パンドゥン・マグナがそこに現れて、ディラを攻撃しようとするが、彼女のスーパーナチュラルな力によって、攻撃を封じ込められてしまう。そこで、大臣はみずから聖獣バロンに姿を変えて魔女と対決する決心をする。
(一一) 善悪の戦いは果てしなく続く。そこで、いかなる決着も示されることはないまま、パフォーマンスは終わりを迎えることになる。
 以上の展開を見ても明らかなように、チャロナランと結びついたバロン・ダンスは、比較的その基本的な筋書きを変えることのないまま今日まで伝えられており、一九八九年現在でも多くの地域で見ることができる。それについては、身体芸術の伝承に特有の現象が伴われていることを忘れてはならない。つまり、われわれは、すでに、バロン・ダンスの背景となる物語が実に多様に変化してきていることを指摘したが、それに対して、パフォーマンスそのものはほとんど同一のままであることも確認しているのである。つまり、それぞれのモチーフは同一のまま、そこに含まれる意味作用が次々に変化してきているというわけなのである。その様子を見ていると、いつかはバロン・ダンスにまったく正反対の意味作用が働くといった場面さえ想像できるのである。
 ともかく、われわれは、次に一九八八年までに幾度か観察したスラプカンのバロン・ダンス(ウニウニガン・ダンス)についての議論に戻ろう。それは、現存するバロン・ダンスの中では、もっともプリミティブな形態を維持しているように思われるからである。まず、その概略をもう一度確認した後、その背景となっている物語をインタビューによって聞き出し、その後に、さまざまなバロン・ダンスの儀礼シナリオの一覧表を提示したいと考えている。

4
 スラプカンのウニウニガン・ダンスについては、すでにその概略を示したが、もう一度簡単に整理してみよう。そこで見られるさまざまな要素は、バロン・ダンスのもっともプリミティブな形態がどういうものかを暗示させてくれるように思われる。つまり、そこではストーリーはそれほど洗練されてなく、むしろ、パフォーマンス全体の力点が<トランス>にあることを伝えてくれているのである。
 まず、ダンスの冒頭、二人の道化のような男たちが現れて、だれかが国中に災難をもたらしていると語り合う。彼らは、敵の力が尋常なものではないことを知り、バロンを呼び寄せることにする。プマンクが人々に聖水をかけてまわったあとで、しばらくして、バロンガその威容を人々の前に現す。
 バロンが場内を一通り巡り歩き、ガムランの背後に退いた後、魔女ランダの弟子たちが登場し、それから、プマンクの長い祈りがあって、ついにランダが姿を現すことになる。もうその時点で、トランスに入る者も出て、ランダに襲いかかったりし、その場は次第に混乱の様相を深めていく。
 ランダがプマンクたちの祝福を受けて、奇声を発しつつ、自分の存在をアピールすると人々も次第に激しい興奮状態に陥り、いよいよクライマックスを迎えることになる。すなわち、バロンとランダの対決である。それは直接的なものではないにしても、かなり激しく演じられるため、人々の興奮は最高潮に達する。
 そこで多くの人々が一斉にトランスに入り、場は一挙に大混乱に陥ってしまう。ここからがむしろウニウニガン・ダンスの中心的な部分といえるかもしれない。トランスに入った人々とそれを取り押さえようとする人々が入り乱れて、しばらくは人の波が右に左にとうねるように移動するが、ようやく騒然とした場が収まってくると、こんどはトランスに入った人々にクリスが手渡され、その場に解放される。
 彼らは、トランス状態のまま、クリスをかざして魔女ランダが去った方向に突進しようとする。プマンクらは、それぞれ手に生きた鶏をかざし、トランスに入った人々は、それを奪い取って喰いちぎるのである。それが延々と繰り返される。人によっては一〇羽とか一五羽とか喰いちぎり飲み込んでしまうものもいる。プマンクから聖水を与えられて飲みほし、最後の一人がトランスから覚めるまで、それは果てしなく続けられる。
 全員に聖水が与えられると、ダンスそのものは終了し、最後に寺院内でスンバヤン(聖化の儀式)が行なわれることになる。それも何時間もかけて延々と行なわれ、全部の儀式が終わるのはほとんど深夜になる場合が多い(6)。
 以上が、スラプカンのバロン・ダンス(ウニウニガン・ダンス)の概略である。われわれは、一九八五年の夏以来三度観察する機会を得たわけだが、それでは、一九八八年の七月一七日、すなわち、三度目のウニウニガン・ダンスの翌日に行なったプマンクたちへのインタビューを検討することにしよう(7)。
 インタビューの対象は、スラプカンに住むイ・クトゥ・ナディ・アスタワとう三〇歳のバリアン、イ・ワヤン・ラティ・エカ・ウィナヤという三五歳のプマンクであり、時折、長老のニョマン・ドゥルヤ(七五歳)がアドバイスに加わってくれた。

Q 他の場所ではウニウニガン・ダンスという名をあまり聞かないが、どういう意味があるのか?
A チャロナラン・ダンスと同じだ。ウニウニガン・ダンスはチャロナランからきたものであろう。
Q バングリの周辺では、他にウニウニガン・ダンスは見出せないか?
A ブバラン(Bebalang)にあるが、われわれが教えたわけではないし、もちろんそこから習ったわけでもない。
Q ギアニャールのペタ(Petak)の場合はどうか?
A 十五年前に行なわれたが、それはわれわれが呼ばれて演じたものである。例外的なケースだと思う。
Q 現在はバリ暦で二年に一度(四二〇日ごと)に行なわれているが、以前はどうだったのだろうか?特別の場合、たとえば、災厄時であるとか宗教的に重要な日に行なわれることはなかったか?
A われわれの知るかぎりでは、現在と同じだったと思う。ただし、誰かが特別にオーダーした場合に行なわれることがあったと聞く。ペタの場合もそうだったのだろうと思われる。
Q トランスに入った人々がチキンを食べるのはどういう意味を持つのか?
A 人々を強くするためである。ブバランではボイルドエッグときゅうりを用いるとも聞いている。それらも同じ意味を持つのだろう。
Q 初めにラクササという名の魔女(よくランダと間違えられる)が登場するが、魔女ランダの美しい娘ラナ・メンガリとどういう関係にあるのか?
A まったく同一である。
Q ラクササを演じているのも女性か?
A ラクササは女性だが、それを演じているのは男性である。
Q ここでは、他の場所とちがって、演者にまったく女性が登場しないが、何か特別な意味があるのか?
A 別にないと思う。
Q バロンとランダについて聞きたいのだが、それらが祀られている様子からすると、一種の神性を有すると考えていいのか?
A いや、バロンもランダもそれ自身は神ではない。
Q トランスにはいる人々はいつもだいたい同じ顔ぶれだが、他の人々は彼らにたいしてどう感じているのか?
A ある種の戸惑いは隠せないが、畏怖の念に似た気持ちを抱いていることもまた確かだと思う。われわれにしてもそれは同様だ。
Q ここでは様式化された踊りがほとんど見られないが、背景となっている物語について、すこし詳しく教えて欲しい。
A (後述)

以上のほか、ウニウニガン・ダンスに登場する役柄について、詳しい名称であるとか役割の分担などを中心に質問が続けられたわけであるが、それらについては、また別の機会に触れることにして、とりあえずウニウニガン・ダンスの背景をなす物語を彼らの話(特にニョマン・ドゥルヤの話)をもとに、ここに復元してみよう。

 かつて、エルランガのロソパティ(Roso Patih)は、森で狩りをするうちに、隣の国のガルダハ(Garuh Daha)と出会う。彼女はとても美しい女性で、彼はたちまちのうちに恋陥ちてしまう。
 ガルダハはたしかに美しい女性ではあったが、危険な爪を持っていて、それに触れることはきわめて危険なことであった。ところが、ある日、ロソパティは二人で戯れているときにあやまって彼女の爪によって傷つけられてしまう。
 ロソパティは怒ってガルダハを森に連れ出して殺そうとしたが、決断できないまま森に置き去りにしたのだった。彼女は毎日泣いて暮らした。
 その後、ガルダハはバナワティと名前を変え、その七人の子供たちがロソパティに対して復讐を誓うことになる。まず、① ラナ・メンガリ(ラクササ)が宣戦布告をする。それから、② ラルーン、そして、③ ルンダ④ ルンディらがエルランガを襲う。それがウニウニガン・ダンスの冒頭となる。その後も⑤ グドボン・バガル、⑥ ガルスサ、そして、誰も名前を知らない⑦ までがエルランガに襲いかかり、ロソパティをやっつけようとするが、それは結局かなえられない(⑤ ⑥ ⑦ 以下はウニウニガン・ダンスには登場しない)。
 到底ロソパティにかなわないと知ったガルダハは、みずからランダへと姿を変えて戦うが、ロソパティもバロンに変身し、いよいよ超自然的な領域の戦いへと舞台は移動する。ウニウニガン・ダンスのクライマックスである。ランダはいったんは退くが、ふたたびブラック・マジックを使って攻め込み、多くの人々が犠牲になり、戦闘は果てしなく続くことになる。
 この戦いの決着は永久につかず、やはり多くの勇敢な人々がバロンとともに立ち上がり、ランダに向かって攻めこもうとするのだが、容易にランダを打ち倒すことはできないのであった。ここまでがウニウニガン・ダンスで演じられているストーリーである。
 その後の展開はさまざまであるが、われわれがインタビューしたニョマン・ドゥルヤによれば、それから聖人ムプ・バラダが登場し、ある木を指さし、それを切り倒すことができればランダの勝ちと宣する、というストーリーがかなりポピュラーなものらしい。ランダは木を切り倒すが、それはたちまちのうちに生えてきて、結局、ランダの敗北に終わるというものである(8)。

 このストーリーはもちろんチャロナラン伝説にもとづくものであり、そうした意味からも、このウニウニガン・ダンスではチャロナランの一ヴァリエーションと見なすことができるだろう。本来はかなり長いストーリーを持つもので、かつては何日もかけて演じられたものに違いない。
 さて、このダンスの特質についてはまた次の機会に論ずるということにして、ここでこれまでに明らかにされたさまざまなバロン・ダンスおよびチャロナランの一覧表を提示することにしたいと思う。つまり、一九三八年のデンジャランのバロン・ダンスおよびチャロナラン、一九三八年のパグタンのバロン・ダンス、一九八八年のバトゥブランのバロン・ダンス、一九八八年のクランビタンのチャロナラン、そして、一九八八年のスラプカンのバロン・ダンス(ウニウニガン・ダンス)などである。さらに、一九三一年のデンジャランのバロン・ダンスや一九八六年のウブドのチャロナランについても資料があるので、ともに参考にしたい。それらをそれぞれ再構成し、相互に比較し、相違点を整理することによって、われわれは、いよいよこの儀礼が持つ核心的な問題に近づくことができるのである。


(1) Lewis, I. M., Ecstatic Religion, Penguin Books, 1971. 平沼孝之訳『エクスタシーの人類学』法政大学出版局、三三頁。
(2) Bateson, G. & Mead, M., Balinese Character : A Photographic Analysis, The New York Academy of Sciences, 1942, pp. 4-5.
(3) Bastide, R., Le Reve, la Transe et la Folie, Frammarion, 1972. に次の記述がある。「野生のトランスは<母胎>のない純粋な形態であるから、民族の宗教的伝統によって結ばれたマチエールをこれに与えな ければならない」(pp. 92- 93)。
(4) Belo, J., Tance in Bali, Columbia University Press, 1960. pp. 2- 5.
(5) 中村雄二郎『魔女ランダ考』岩波書店、一九八三年、一八- 二〇頁参照。
(6) 詳細は「バリ島のトランスダンス1」本誌一九八九年六月号、二七四- 二七八頁参照。
(7) このインタビューはかなり長時間にわたるもので、ワヤン・ダシー、伊藤俊治、中村光江の各氏の協力による。今後、独立した資料として提出する予定である。
(8) 宗教学および人類学調査におけるインタビューには、当然のことながら、多くの困難が伴われる。特に質問の形式は重要であり、それによってインフォーマントの対応が左右されてしまうのは、おそらく仕方のないことかも知れない。この問題については Goffman, E., Forms of Talk, University of Pensylvania Press, 1981. や Laing, R. D., The Facts of Life, Pantheon Books, 1976. 塚本・笠原訳『生の事実』みすず書房、などを参考にしつつ、あらためて論じたいと思っている。

(うえしま けいじ・ 宗教学)