現代思想 十二月号 第十七巻第十三号 特集= ゲーデルの宇宙
青土社
1989年12月1日 発行
P199- 210 短期集中連載 宗教儀礼と民族芸術 4
バリ島のトランスダンス 4 植島啓司
1
バリ島最大の寺院であるベサキ寺院に行く途中にムンチャンという土地があり(地図参照)、そこでは人が突然トランス状態に入って、猿になったり、豚になったり、時にはランプや乳鉢になったりすることもある、と聞かされたのは、かなり前のことだった。
そのことはいつも気にかかっていた。それで、幾度かムンチャンに出かけることもあって、近くを探したこともあったのだが、なかなか見つからないまま数ヶ月が経過していたのである。イメージは膨らむのだが、全然手がかりはない。そんな状態で、われわれはチャロナラン、バロン・ダンスの調査を続けていたのである。
ある時、ようやくそれは見つかった。それは、実はムンチャンではなく、ムンチャンよりもさらに東に一〇キロ近く入ったジャングゥという村でのことだった。最初に聞いてから約一年ぐらい経っていただろうか。一九八五年のことだった。ムンチャンからの道のりはなかなか険しく、ドゥダに到着する頃には半分諦めかけていた。そこからさらに東に進み、川のせせらぎにそって右に少し入ったところに、小さな村があった。それがジャングゥだった。初めてそこにたどり着いたときの感激は今でも忘れることができない。
たしかにサンギャンと呼ばれるその儀礼(トランスダンス)は現在でも存在していたのである(1)。それを観察した後で、さまざまな文献を検討したところ、ようやくそれがJ・ベロが指摘する「ある地域に固有のトランス」にあたるものだということもわかってきた。つまり、J・ベロは、バリ島のトランスの体系を分類して七項目に分けて示したが、その七番目の例外的なトランスの項目がそれだったのである(2)。
彼女はそれを「ある地域に固有のトランス」と名づけ、「バリ島東部の山岳部に見られる特異なトランス」と説明を加えている。バリ島全体に広がるさまざまなトランスを伴う儀礼や神事・芸能、呪医や宗教的職能者などの神懸りなどからすると、それは彼女の説明の枠外の出来事であったようだ。J・ベロは「その地域のトランサーは、猿、馬、仔犬はおろかポットの蓋やランプにまで変身してしまう」と書いているが、それを他のトランスと結びつけて理解しようなどとは、想像もしなかったに違いない。あくまでもそれは例外中の例外だったのである。
しかし、何でもそうかもしれないが、たいてい例外的なものにこそ真実は反映するものだ。また、なにものかが例外とされる場合でも、おそらく例外とされるものに責任があるのではなく、それを例外とするような分類体系の方にこそ問題がある場合が多いのではないか。
われわれは、ボナやプリアタンでの観光客相手のもの以外には、ほとんど見つけるのが難しいと言われる、この「サンギャン」と呼ばれるトランスダンスを、今ではカランがセム地方を中心に二〇ヶ所以上の地域で見つけ出している。その分布状況については、後にマッピングして示すことになるだろうが、それはもはや例外的な事項ではないのである。むしろ、ほとんどその機能を果たさなくなり、消滅寸前(われわれのオーダーがなければ、もう行なわれないと思われる地域も実際少なくないのだ)のサンギャンについて知れば知るほど、バリ島の宗教の固有性について多くのことを学ぶことになるだろう。その調査の現状報告を以下に詳しく述べてみたいと思う。
2
サンギャンについての文献資料は、ほとんど見つけることができない(3)。また、サンギャンそのものについても、知られていることは想像以上に数少なかった。G・ベイトソンは、その地域(ジャングゥ)にのみ異様なトランスダンスが広まっているのを見て、おそらく近年になって突然変異的に発生したものであろうと推測し、それをスバトゥ・スタイルと呼ばれる木彫りの様式と結びつけている。つまり、ともに伝統的なスタイルから大きく逸脱しながらも、巨大な成果を生み出したという点で共通していると言うのである(4)。勿論、ベイトソンの場合でも、あくまでもそれは「例外的なもの」のままに留まっている。J・ベロの見解もほぼ同様のものだが、彼女は詳細な観察記録とインタビューを残してくれているので、それをまず検討することから始めたい。
彼女の『トランス・イン・バリ』(一九六〇)によると、初めてその地域のサンギャンと出会ったのは一九三七年九月のことだったという。W・シュピースと彼女は、そこで二〇種類のサンギャンを見つけ出すのに成功する。それをとりあえず列挙してみよう。
① サンギャン・ルリピ(蛇)[以下「サンギャン」を省略する]
② チェレン(豚)
③ クルック(仔犬)
④ ボジョ(猿)
⑤ スリプトゥ(ヤシの葉で編まれた人形)
⑥ ムムディ(悪霊)
⑦ チャパ(ヤシの葉を切り刻んで三脚の供物にしたオブジェ)
⑧ セラプラウ(イモの茎を⑦と同様に三本束ねたオブジェ)
⑨ サンパ(ほうき)
⑩ ドゥダリ(妖精)
⑪ ルスン(乳鉢、粉ひき臼)
⑫ クケレ(竹製の祭具)
⑬ ジャラン・ガディン(黄色の馬)
⑭ ジャラン・プティ(白い馬)
⑮ テテール(木の名称で、その枝を三本⑦のように束ねたオブジェ)
⑯ ドンカン(蛙)
⑰ プニュ(亀)
⑱ リリ・リンティン(ケロシンランプの芯)
⑲ センベ(糸に吊られたランプ)
⑳ トゥトゥプ(ポットの蓋)
それぞれ相互の関係については、まったく知られていない(5)。とりあえず、ここに列挙されたものを三つのグループに分けると、次のようになる。
(1)超自然的な存在に変身するもの(⑤⑥⑩)
(2)動物に変身するもの(①②③④⑬⑭⑯⑰)
(3)特殊な物体(オブジェ)に変身するもの(⑦⑧⑨⑪⑫⑮⑱⑲⑳)
最後の(3)の中でも⑦⑧⑮はともに三脚のオブジェで、ジャングゥの村長イ・クトゥ・スエヌの説明では、その三本の脚はそれぞれブラフマー、ウィシュヌ、シヴァというヒンドゥ三神を表しており、それらが一つに結びつくことによって、人々に特別な力を与えてくれるのだという。
J・ベロは、この中でバリ島の他の地域でも見つかるものはわずかに二つしかないと指摘している。サンギャン・ドゥダリとサンギャン・ムムディである。他のものはすべてまったく新しいもので、ここでしか見ることができない、と彼女は主張する。勿論、それは事実とは異なっているのだが、ここでは、もう少し彼女の分析を見てみたい。
3
サンギャンは、ある一定の状況下で行なわれたものと思われる。すなわち、それは穀物の収穫期に、プラ・ダレムにおいて、実施されたのである。そのダンス(と言うには、あまりにもプリミティブなものだが)は、ほぼ満月の時期を選んで行われ、明るい時間帯は避けられ、必ず日が落ちてから行われた。雨が降ればすぐに中止された。また、夜の九時を回ると今度は夜露との接触を避けて、終了させられるのだった。すべてのトランスの行事が水を避けるのは共通している。その理由として、ある村人は「水があると魂(ソウル)が外に出てしまうのだ」と説明している。
実際のところ、サンギャンは、他の宗教儀礼とは異なり、流行病や天変地異が発生したときに、それらの原因となる悪霊を追放し、大地を浄め、人々の不安を取り除くために特別に執り行われたものである。それゆえ、当然のことながら、いつでも確実に見ることができるわけではない。われわれも、これまで数度にわたるオーダード・パフォーマンスを依頼し、ようやくその全貌を摑み得たところである。
通常はトランスに入った人に超自然的なものがとり憑いて、その人間の身体を通して特別なメッセージ(託宣)を伝えるのが、儀礼全体を支える骨格となるのであるが、サンギャンの場合、そうした説明が当てはまらないようである。なにしろ人間が豚や仔犬になったりするのだから始末に悪い。
J・ベロは、それについて、次のように説明している。「これまで述べられてきたさまざまなサンギャンは、要するに二つに分類されるようである。すなわち、一方では、トランサー自身がみずから演じるものと一体化する場合があり、他方では、その対象物が彼の手に結びつけられて、トランスに入るや否や、彼をある種のパントマイムに導くという場合がある」(6)。たとえば、猿、豚、悪霊などは前者のカテゴリーに属し、蛙、二種類の馬などは後者のカテゴリーに属することになる。
さらに、彼女は、トランス状態に入ることを表す言葉が Keraoehan(憑く)ではなく、nados または nadi(なる)であることに注目する。つまり、ここでは、他からスピリットが入るというよりも、トランサー自身が「他のものになる」という方に重点が置かれているのである。なにものか(超自然的なもの)が憑依するのではなく、別のなにものかに変身すること。そこにこそ、この儀礼を解く鍵があると考えたのである。
J・ベロがインタビューしたダルマという男は、サンギャン・チャパ(ヤシの葉を切り刻んで三脚の供物にしたオブジェ)を演じた後で「どんな感じがしたか」という質問に答え、次のように語っている。「もしあなたが田んぼで米を植えているとするならば、自分の位置を低いと感じないだろうか。そう、わたしは<低い>と感じていたのだよ」(7)。
トランスでは、たいていの場合、人は超自然の存在と結びつけられて、みずからを<高い>と感じるものである。ところが、ダルマは、その逆だと言うのである。トランスの体験がもたらす快感は、自己の衝動の克服と重ね合わされるのだ。自分を失うことによって、なにものかを得る。そこにトランスの真実があると言うのである。豚であったり、蛙であったり、蛇であったりするのも、同じように、自分自身を低くすることなのではないか。サンギャンには、通常のトランスとはまったく別のものがある、とJ・ベロは考えたのである。
さらに、彼女は、サンギャンに固有の感情として「怒り」や「狂気」の昴まりを挙げている。それはクリスダンサーにも共通しているもので、バリのトランスを特徴づkるものだと言えよう。
おそらくそれぞれの文化が、固有の表現をとって、みずからの根底にひそむ無意識的なスパスム(痙攣)をつかまえようとしている。それは、感性に訴えるセッティングでもって「経験」を包囲し、各々の出来事が人々を支配する情緒的なメイクアップと一致するようにさせるのである。トランスの経験に対する情緒的な解釈と色彩づけによって、われわれは「夢遊病的な」トランスやそれがもつ役割について、初めて理解できるようになる。クライマックスは、そのとき神経的な緊張があたかも地殻が変動するかのようにディスチャージされるのであるが、なんらかの強い感情、怒り、恐れ、セクシュアリティが伴われることになるだろう。呼吸とか脈とかの機能は低下しているものの、怒りや悲しみの感情は著しく高まっている状態と言うことができるであろう(8)。
たとえば、ハイチのトランスでは、その根底的なところに性的なものを見てとることができるが、それは程度の違いこそあれバリの場合でも同様なのではないか。それを指摘されると誰もが否定するが、実際には、そこには密接な関係があるように思われる。それについてはまた論ずる機会があるだろうが、怒りの感情については、事態はさらに明白である。バリでは、怒りは、他の感情とは違って、ノーマルなものではない。それは普段は抑圧されていて、ほとんど見ることができない感情である。それが表出されるということはやはり特別な意味を持つのである。人々は、それを目の前に見ることによって、一挙に非日常的な気分へと運び込まれるからである。
J・ベロが指摘する第三番目の点は「パリン」(包囲喪失)の感覚である。バリではトランス状態に入っていることを、通常「パリン」と言うが、彼らはその精神状態を表すときに、それを方向感覚と照らし合わせて言う場合が多いのである。それについても、もう一度後に触れることになるだろう(9)。
W・シュピースは、二〇種類のサンギャンのうち一七をすでに自分の目で見た、と言われている。残念ながらJ・ベロはわずか三、四種類しか見ていないようである。ただし、それについての詳しい報告があるので、W・シュピースやG・ベイトソンの記述も参考にしながら、再検討を進めたいと思う。
われわれがまずなすべきことは、いったい、だれが、なんのために、この不可思議な儀礼を行ってきたのか、ということを知ることである。それには、なによりもサンギャンそのものの観察記録を提示することから始めなければならないだろう。まったく異なるものが次々と結び合わされて、だれも想像しなかったようなシステムが浮かび上がってくる。それを可能なかぎり拡大して示すことなのだ。そして、それをいったん打ち砕き、その破片を通して、これまで見えなかったものを見るのである。
4
最初の観察記録は一九八六年八月九日のものである(10)。その時には、われわれは(a)サンギャン・ドゥダリ、(b)サンギャン・ムムディ、(c)サンギャン・ジャラン、(d)サンギャン・トゥトゥプを見ることができた。以下順を追ってその時の手順を再現してみたいと思う。
a サンギャン・ドゥダリ
われわれがその晩集まったのは、ジャングゥのプラ・デサからやや北側に入ったプラ・ブタラ・ゲデ・シャクティの祠の前の空き地だった。サンギャンが行われているというので、村のほぼすべての人々がそこに集まってきていた。一〇名前後のコーラスがそろうと、いよいよサンギャン・ドゥダリ(妖精)の始まりである。
サンギャン・ドゥダリは二人の純潔の少女によって踊られるもので、その限りない美しさはA・アルトーをはじめ多くの西洋人を魅了してきた。彼らは一種の幻覚状態を引き起こすとされる香(penudusan)をかぎながら、次第にトランスに陥り、歌にあわせてあたかも自動人形のように踊り始めると言われている。その踊りも即興的なもので、筋書きもなく、それにもかかわらず二人がまったく同じ動作をするというのが、神秘的な魅力となっている。選ばれるのは、ほぼ九歳から一三歳ぐらいまでの年齢の少女で、日常生活でも厳しいタブーが課せられており、一度選ばれると初潮を迎えるまで務めることになっている。
さて、午後の七時四〇分、いよいよ少女の祈りが開始される。正装の少女六名と普段着の男性たち四、五名が一緒に呪文のような歌を繰り返す。今回はドゥダリは事情で一人しかいない(それから、一九八九年まではしばらくは一人もいなくなってしまう)。彼女はまず香炉の上にかがみこみ、男が介添えする。少しずつ身体を上下に揺らしながら、指を菱形に顔の前で組む。火が時々消えて、介添え人が幾度か点火しなおす。火が高くのぼり、かなりの量の煙が彼女の顔面をおおう。だが、彼女は姿勢を崩さない。われわれは突然の開始でなかなk状況にとけこめず、戸惑いながらそれを見ていた。約一〇分ぐらいして少女はゆっくりと横に倒れる。コーラスは「起きなさい」という意味の歌を繰り返す。彼女はしばらくして両手を上にあげながら立ち上がる。年齢は一〇歳を少し過ぎたぐらいだろうか。濃い化粧をしているせいか、アンバランスな魅力が感じられる。
約二分ほどおいて(歌のわずかなとぎれに)、彼女の踊りが一瞬静止し、介添え役の男が彼女を支えにくる。だが、ワンテンポおいてコーラスが再び開始されると、彼女も再び踊りを開始する。あやうい均衡。歌が少し変化するところで、それに呼応して彼女の踊りも変化する。
周囲には二、三百人ほどの村人が集まってきていて、特に子どもの姿が目につく。ほとんど村中総出であろう。しばらくして、ようやく人々の意識が一つに集中し始めたような気がする。少女はしばしば腰の薄いブルーのリボン状のものを両手でひらひらさせて舞うように踊る。両眼は閉じているように見える。
八時を過ぎた頃、男が彼女の左手に先ほどの香炉とよく似た容器を手わたす。しかし、その中には香ではなく聖水が入っている。少女は花弁をそれに浸して周囲にふりかける。ヒンドゥの祈りではよく見かける光景だ。しばらくして歌がやみ、彼女の動きも停止する。介添え人が彼女を支え、聖水をふりかける。そうして彼女はトランスから普通の状態に戻されるのである。少女はコーラスの正装した少女たちのところに戻って一緒にすわる。
さまざまな宗教舞踊の中でも、サンギャン・ドゥダリはもっとも美しいもののひとつだろう。見ている間、「ぼくたちは夢でできている」といセリフを思い浮かべたりしていた。まさにドゥダリは夢を踊るのである。
b サンギャン・ムムディ
八時二〇分、上半身裸の異様な男が登場する。やはりドゥダリの場合と同様、香炉の上にかがみこみ、すぐにメディテーションに入る。男の顔は白く塗られている。胸と背中にも十字架状に白くチョークが塗られている。両腕の上腕部にも白い線が描かれている。それが何を意味するのかは誰も説明できないが、おそらく悪霊の表現として死人から連想したものではないか。この悪霊は子どもをさらうとも伝えられていいる。
男は掌で香炉の火をかきまぜるように叩く。かなり危険な感じもするのだが、彼はひたすら叩き続ける。しばらくして(およそ二、三分のことだと思う)、ドゥダリと同じく、彼も香炉のそばに倒れてしまう。彼が再び起き上がるとともに、介添え人が彼の腰の紐を持つ。そうしないと、ムムディはこそを抜け出して墓に逃げ帰ってしまうとされているからだ。パフォーマンスのあいだ、必ず誰かが腰紐を持って、彼の背後に付き添うのである。
ムムディはしゃがみながら歩き始め、時々跳ぶようなしぐさをする。周囲からは絶え間ない笑い声が涌く。それぞれのジェスチャーにあたかも意味があるかのように反応するのだ。われわれには根本的には道化のしぐさのように思われた。彼はどこかに歩いて行こうとするが、介添えの男に紐を引っ張られると、方向を変えて別の方向にむけて歩き始めるのだ。悪霊といっても恐ろしい感じはしない。J・ベロが指摘したような邪悪な印象はあまりなかった。もしかしたらこの五十年の間に変化してしまったのかもしれない。彼女は「ムムディは時に通常の人間には見ることができない生き物を見つめているようだ」と書いているが、むしろ周囲の人々はすっかりリラックスしているように思われた。
コーラスが中断したとき、一度すわりこむが、再び歌とともに歩き出す。トランスのとき、魂(ソウル)は脚のほうにいっている。と聞いたことがあるが、それも面白い比喩だと思う。半分意識があって半分意識のない状態を指しているのだろう。その状態を形容するうまい言葉がなかなか見つからない。そんなことを考えていると、腰紐を引っ張られながら歩きまわっていた男が、突然暴れ始めた。
たちまち皆が緊張し、七、八名の男たちが彼を取り押さえようとする。男は身体を硬直させて、緊張のピークに至る。男たちは彼を地面に押さえつけるようにして、聖水をふりかける。だが、彼の硬直状態はすぐには解けない。男たちは彼の強く握りしめられている指から解こうとするが、すごく強い力がこめられているので、かなり手間取っている様子だ。数人がかりで腕を押さえて、ムムディの指を一本ずつ開き、身体の末端から少しずつ緊張をほぐしていく。
サンギャン・ムムディは約十五分ほどの短い時間内で執り行われた。聖水とともに意識が戻って終わるのは、すべてのサンギャンに共通している。聖水の跡は注意深く砂をかけて消される。すべてが初めの状態に戻されるのだ。
C サンギャン・ジャラン
サンギャン・ジャランは当初予定に入っていなかったので、ここで一時サンギャンは中断される。必要な祭具の準備ができていなかったのである。イ・クトゥ・スエヌはそれを作るために戻る。リリグンディの木の葉をナイフで切って、その細い幹の部分にヤシの葉で編んだ飾りを付ける。そのヤシの葉の部分は邪悪な力の象徴だと説明されている。それがないと踊りが成立しないというんだから、善悪はともかく、ある種の力(ポテンシャリティ)の象徴と理解してかまわないだろう。
そのリリグンディは、実際には、子どもがよくほうきなどでやるように股の間に挟まれて、馬の役割を果たすことになる。それは、一度プラ・ブタラ・ゲデ・シャクティの祠に捧げられてから、サンギャンの場に持ち込まれることになる。いよいよサンギャン・ジャランの始まりだ。子どもたちはすでにかなり後方にまで下げられている。サンギャン・ジャランはきわめて危険なのだ。中央に二ヶ所ヤシの実が積まれ、ガソリンが撒かれて火がつけられる。さすがにみな多少興奮気味である。
九時二〇分頃、歌が開始される。香炉の前で祈りに入っていた男が突然暴れ出す。今度の場合はとてもすばやい。あっという間に、彼は火を脚で蹴散らし、炎の上を転がり回ったり、脚で地面をするようにして走りまわる。リリグンディは股の間にしっかりと挟み込まれている。彼はコーラスの前で跳びはねるように踊り、鈴がそのたびに鳴り響く。
ジャランは幾度も火を蹴散らしながら走りまわり、歌は「馬は火をさがしている」と変化する。印象としては、大地を火で浄める儀礼という感じなのだが、なにしろ火の上を実際に転げ回るので、本当に危険でもおある。しかも、トランスの間は無我夢中という感じで、彼は、しきりに火を求めて四方八方に走るのだ。火がほぼ消えかけてくると(しばしば大地に吸収されていったような錯覚にとらわれる)、彼は隅の方で両手を広げて声をあげながら硬直状態に陥る。やはり聖水が運び込まれて、彼の身体にふりかけられ、そして、しばらくしてようやく覚醒状態に戻る。
d サンギャン・トゥトゥプ
香炉の前でまったく同様の手続き。男は香をかぎながら身体を左右に揺らしはじめる。トゥトゥプ(ポットの蓋)を手に持って振ると、そこにつけられた鈴が鳴り続ける。中央にはテーブルのような台が二つ置かれてある。男はしばらくしてトランス状態に入り、悠然と立ち上がる。彼は手にトゥトゥプを持っているが、その木製の蓋には紐が巻かれていて鈴がつけられており、あたかもなにか神聖なものがそこにひそんでいるような気にさせる。男はそれを右手に持って、二つの台に叩きつけながら踊るのだ。
そこに別の男が少し大きめの鉄製の蓋を持って登場してくる。それを見るや、トゥトゥプの男は、台にそれを叩き付けながら、もう一人の男にかかっていく。
台にトゥトゥプを叩きつけるのは、エネルギーの充填のような感じだ。台に叩きつけっては、もう一人の男に突進を重ね、いつまでもそれが繰り返される。コーラスさえ続けば朝までもやるとのことである。受けるほうは何人かで交替したが、時々うまく受けそこなうと、人々の間に緊張した空気が流れる。そんなときには、その掛け合いが実はきわめて攻撃的な性格を持ったものだということに気づかされるのだ。
一〇時直前になって歌がやみ、男は突然倒れこむ。まわりの男たちが警戒しながら、彼を取り押さえる。再び聖水がかけられ、この日のサンギャンはすべて終了する。
5
さて、われわれは、これから、はたしてサンギャンとはいかなるものか、という分析に入ることになる。従来の理解では、サンギャンとは、トランスに陥った人間に神または祖先の霊がとり憑いて、人々を悩ませる災厄を取り除くための示唆を与えてくれるものと考えられてきた。それは一種の悪魔祓いの行事だと見なされてきたのである。
ところが、ここでは人々にとり憑くのは、なにも超越的な存在とは限らないのである。いったい、なぜ人々は身近な生き物や物体(オブジェ)に変身するのか。なぜそれほど多種多様なものに姿を変える必要があるのか。いったい変身のリストはどこまで広げられるのだろうか。また、ここジャングゥのサンギャンこそが本当のサンギャンなのか。それとも、それは、G・ベイトソンやJ・ベロの指摘する通り、まったく例外的なものなのだろうか。
われわれはさらに幾つかのサンギャンを観察し、それがJ・ベロらの見たサンギャンとどのように異なっているかを見てみたい。そして、その全体像について考察した後で、カランガセムの他の地域におけるサンギャンの現状を報告したいと思う。これまでサンギャンについては一度も体系的に研究がなされたことがない。と前に述べたことがある。勿論、それが現在どこで行われているか知る手段はまったくないと言ってもいいだろう。われわれは、一九八五年以来、カランガセム一帯を手始めに、西はクランビタンに至るまで、徹底的にひとつひとつの村を歩きながら、サンギャンの調査を続けてきた。いよいよ次回あたりからその報告に入ることになるだろう。そして、そうした作業全体を通して、われわれは、ようやく幾つかの問題に答えられるようになるのである(11)。
註
(1)サンギャン(sanghyang)とは、もともとバリ語で「スピリット」を指す語で、いまだ分化しないままの広義の神観念を言い表している。ここでは、ある種のトランス状態に陥った人々によって演じられるバリ固有の悪魔祓いの踊りを指している。
(2)拙著「バリのトランスダンス 2」『現代思想』一九八九年八月号、二三九頁参照。
(3)J・ベロ、G・ベイトソン&M・ミード、B・デ・ズーテ&W・シュピースの研究を除くと、Bandem, I. M. & deBoer, F. E., Kaja and Kelod: Balinese Dance in Transition, Oxford, 1981. などがわずかに頁を割いているにすぎない。
(4)Belo, J., Trance in Bali, Columbia University Press, 1960, pp. 202- 203.
(5)Ibid., p. 202
(6)Ibid., p. 213
(7)Ibid., p. 223
(8)Ibid., p. 223
(9)Ibid., p. 224
(10)この調査は、一九八五年以来かなり長期にわたって続けられているが、S・マンティトおよび当時院生だった姜幸子、嘉原優子の各氏の協力によるものである。
(11)本稿は「悪魔祓い<サンギャン>」『バリ― 禁忌、祝祭のカタルシス』(植島啓司・伊藤俊治共著)アートスペース美蕾樹、一九八六年、を一部発展させたものである。
(うえしま けいじ・宗教学)