2001 Salut [サリュ] vol. 27

應典院寺町倶楽部のニューズレター Salut [サリュ] vol. 27
2001年8月5日発行(偶数月発行)

p2-3
EVENT REPORT

~第28回寺子屋トーク レポート
植島啓司さん vs 鷲田清一さんの白熱トーク
「自分をほどく哲学クリニック」が大盛況!!

第28回寺子屋トークは「生き方のお手本?~自分をほどく哲学クリニック」と題する対談企画。「宗教は、人間がいちばん熱くなることと、いちばん冷たくなることを扱う」という宗教学者の関西大学教授・植島啓司さんと、「人生にとってなくてはならないものについて、人の話に素直に耳を傾けながら考える」臨床哲学を提唱する大阪大学教授・鷲田清一さんのお二人をゲストに、6月16日に開催しました。
 今回は、参加された方の声をできるだけ反映しようと、「問診票」と「質問票」を事前にお配りし、それをもとに対談をすすめていただきました。寄せられた思いを的確にとらえたお二人のお話は、生き方への多くの示唆を与えるものとなりました。参加者143名。(文:大塚郁子)

人との関係をゆるい輪のなかに
 質問の内容の多くは、家族や恋愛、職場や学校での人間関係など、人との関わりについてでした。人と人とのつながりが希薄になりつつある現代社会の中で、誰もが人間関係について悩みを抱えているのでしょう。
 「人は、ある特定の他人との親密な関係を、生きる上でのベースにしている」と鷲田さん。その親密な関係を、家族だけにもつ人が多いが、いかに家族以外の人と親密さを築くことができるかが課題だと、指摘されました。
 植島さんは「いかにして人間関係をゆるい輪の中にもっていくかを考えないと」といいます。どんなにいい関係でも、閉ざされた状況ではその関係は悪くなるのが必然、閉塞した家族関係や決まった相手とだけつきあうような人間関係は一度とりこわし、作り変える必要を説かれました。
 親密な関係は大切です。しかしそれに執着するあまり、悩み、傷つき、関係自体がゆらいでしまうこともあります。多くの人と出会い、ふれあい、そして新たな関係を築くことが、自分自身、そして社会の再生へとつながるのではないでしょうか。

生きることは「負け」の連続
 お二人のように良い年の取り方をするには?というユニークな質問もありました。それに対し植島さんは「”負け”とうまくつきあうこと。生きるというのは負けの連続。人間は負けたことは忘れて、勝ち取ったものだけを頼りに生きていこうとしている」とおっしゃいます。そこに、資本主義社会の問題点が見えるような気がします。
 今回企画を進める過程でも、多くの困難や失敗がありました。そこから多くの学びや気づきがあったことを思い出し、植島さんのことばが心に響きました。
 鷲田さんは「人が怪我をしないための保全装置が多すぎる」と指摘します。小学校では”公平”という名のもとに、運動会で順位をつけないところが増えていると聞きます。傷つかないように、失敗しないようにという「配慮」が、逆に成長のための貴重な経験の機会を奪っているとはいえないでしょうか。
 多くの”負け”の中から得られたもの、それが”いま生きている私”をつくっているのだと思います。

生き方の処方箋は?
 個人のゆらぎは社会のゆらぎが原因ではないか、と話題は展開しました。人間関係や個人の生き方の悩み、それは依って立つことのできない社会への不安のあらわれであり、社会全体の目的や明確な価値観が見失われたからでしょう。
 「いまの社会のルールは普遍的なものではなく、場所が変わり、時代が変わればまったく違ったものになるということを認識すべきだ」と植島さん。そして、鷲田さんは「あるひとつの社会が作っている価値観とか、意味づけに対して、それとは別にもうひとつの見方があるんだ、というのを伝えてゆく装置がなくなってきた。だから、やり直しがきかないとか、いまの社会のルールに自分を合わせなくてはという意識が強くなっている」。
 日本では、個よりも全体が優先される風潮があります。社会全体の価値観の中で、そこから脱落すれば、這い上がることさえままならないというふうに感じがちです。
 「自分たちにとって大切なことは『理想社会』というのがどういうものなのかイメージし、明確なビジョンをもつことだ」と植島さんはいいます。そして、「不安に対する処方箋は、最悪の事態を想定してそれに対処する方法を考えるしかないんではないか」と語ります。要は、社会に依って立つのではなく、私たちが自立し、各々の価値観を認め合いながら家族、地域、そして社会を形成することではないでしょうか。

 自分の立つ位置を確認して、まわりを見渡してみると、さまざまな生き方をしている人に触れることができます。自分のこだわりを捨てることで、相手を認め、他人の生き方を尊重することにつながります。他人とまみれながら、多様な生き方を許容していくなかには、理解できなかったり、わからないことに直面したりすることは多いでしょう。そのわからないものに、わからないままにつきあっていくということも、とても大切な経験のように思います。
 誰にでもあてはまる明確な「生き方のお手本」などはないのかもしれません。けれど、一人ひとりが何を必要とし、何が幸せのカタチであるのか、忙しい毎日のなかでもきっちり自分に問いかけ向き合うことが、とても大切なことなのだと感じました。


関連キーワード