植島啓司Blog – はやくも、もうすぐ2025年だ

 

なんだか早いもので、もう12月だ。今年病気で倒れたのも遠い過去のように思えてくる。まだ10か月しか経っていないのに。これまで一度も病気で入院したこともなかったので、なかなかおもしろい体験でいろいろと書いてみたいことばかりだった。

ところで、この年末に向けて、雑誌のお正月企画というのだろうけれど、初詣でに行くところを教えてくださいというような企画が新聞・雑誌から送られてくる。朝日カルチャーセンターのメンバーにはLINEでお知らせしたとおり、今年もまず『家庭画報』やら『旅の手帖』やらいろいろ依頼はあったけれど、『朝日新聞GLOBE』12月15日号からも熊野についての依頼がありました。

朝日新聞からは「なぜ外国人はとりわけ何もない熊野に出かけるのか」という疑問を解きたいというもので、次回の熊野調査の折にでもよく聞いてみようと思っている。たしかにいま熊野を歩こうとするとやたら外国人に出会う。彼らは何を求めているのかと言われると、そこには何もないからだと答えたくなる。そう、熊野自身には一応それなりの神社・仏閣もあるし、それ以外にも訪れるべき名所・旧跡も多々あるのも事実。でも、それが目的ならば、国内においてもっとも不便な地をわざわざ訪れる理由にはならない。

以前に自分の本のなかでも書いたのだけど、西欧の宗教を語るときキリスト教を抜きにしては何も語れない。それほどキリスト教は強大な力をもってそれまでにあった信仰や風俗を根こそぎ変えてきた。その地本来の宗教を語るにしても、もはやキリスト教の助けなしには論じられないほどになっている。そういえば12月22日に三重県津市で熊野本宮大社の九鬼宮司と奈良の金峯山寺の田中利典さんと公開シンポジウムがあるので、お二人にもいろいろ聞いてみよう。

キリスト教ばかりではない。日本の場合にしても同じことが言える。明治政府によって政治的な意図を含んで編まれた記述も奈良時代に成立した『古事記』『日本書紀』なしには語り得ないことになっている。それは中央権力によって政治的な意図をもって編まれたものであって、多くの場合、その地では何が信仰されていたのかはもはや痕跡さえも残っていないような有様なのである。南方熊楠らが異議を唱えたのはそこだった。そういえば、かつて南方家を訪れて、娘の文枝さんと会ったことがある。それはちょっと大変なことだった。次回はその話について書いてみよう。


keiji ueshima