週刊文春 2011年6月30日号
文春図書館 活字まわり
「世界の全ての記憶」 植島啓司 6
かつて室生寺の奥の聖域「龍穴」の近くをさまよっていた時、突然目の前に鹿が現われたことがあった。その鹿は不思議そうな表情を浮かべてこちらを見つめており、ぼくのほうも金縛りにあったように動くことができなかった。わずか30秒くらいだったのに、ずいぶん長い時間が経過したような気がした。鹿はそっと視線を外し、何事もなかったかのように道路わきへと消えていった。
それは、ぼくには忘れられない経験となった。というのも、以前に読んだスティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』の一シーンと重なり合ったからである。冒険の旅に出た4人の少年は、線路わきで野宿をするのだが、みんなが寝静まった後、主人公の少年の前にやはり雌鹿が姿を現わす。それは運命的な出会いだった。
雌鹿のことをみんなに話そうと喉まで出かかったが、結局、わたしは話さなかった。あれはわたしひとりの胸におさめておくべきことなのだ(中略)たとえなにか言うべきことばを思いついたとしても、わたしは結局、なにも言えなかっただろう。口に出したことばは、愛情という機能をこわしてしまう。もの書きにとって、そう言わなければならないのはいまいましいことだが、わたしはそれが真実だと信じている。悪気はなくても、鹿に話しかけたりしたら、鹿は尻尾をひと振りして、あっというまに逃げていくだろう。ことばは有害なものなのだ(中略)無言であること、ことばを組み合わせたりしないことが、そういう愛の傷をふさぐ役目を果たす。
スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』(新潮文庫)
それはまさに回心(コンヴァージョン)の瞬間なのだった。人生でもっとも大事なことはさりげなく起こる。その後、少年はつらいことがあったり、試練となるような出来事に遭遇すると、そのときのことを思い出すのだった。ぼくもいまだにあの鹿もことを忘れたことはない。