2012 文學界 7月号

文學界 平成二十四年七月号
株式会社文藝春秋
2012年6月7日

P159

Author’s Eyes
甘い生活 植島啓司

 なんだか遊んでばかりいると、ろくなことを考えない。もう60代も半ばにさしかかるというのに、週末となれば女の子たちを呼んで毎週のようにパーティを開いている。それも普通ではない。フェリーニの「甘い生活」のように乱脈を極めている。世間では倹約とか質素とか助け合いが叫ばれているが、こちらでは女の子のスカートをめくって笑いあったりしている。まことにのんきなことである。20代はオージー、30代はスワッピング、40代は「水曜クラブ」、50代は「誘惑のバー」(夜に集まった男女が互いに誘惑しあうバー)、60代は「甘い生活」ということになる。よく長いあいだ続けられてきたものだ。いいかげんで適当な感じ、それでいて少々知的、というところがよかったのか。
 いまどきこういうパーティも少ないようで、ぼくの狭いアパートの一室に30名以上が詰めかけてくる。女子のほうが多い。みんなそれぞれワインとおつまみを携えて笑顔でやってくる。そして、そのまま深夜まで(ときには朝まで)飲んで遊ぶことになる。そんなふうにしてこちらの人生もそろそろ終わりに近づいているわけだが、どんなパーティでも成功の秘訣はお金をかけないことではないか。もちろん多少お金に余裕のある人はいろいろ差し入れもしてくれるが、なければないでまったくかまわない。そもそもいつも知らない顔が多くて名前も憶えられない始末。みんなが満足してくれたらそれでいい。
 ということで、遊びながら「進化」についてちょっとだけ考えてみた。これまで進化とは生物が長いあいだに変化し従来よりもすぐれた資質を身につけることだとされてきた。しかし、人間とチンパンジーは95- 99% DNAの配列が一致しており、しかも、チンパンジーの胎児に人間の大人が備えているほとんどすべての特徴が見られるとなると、問題はそう簡単ではない。つまり、チンパンジーの胎児は放っておけば大人のチンパンジーになるわけで、その発達を阻害する遺伝子が人間の種の進化をもたらしたのではないかという想定も成り立つ。いわゆるネオテニー(幼形成熟)だ。人間がチンパンジーと違うのは、成長を止める「発達阻害プログラム」が働くからだということになる(C・ブロムホール『幼児化するヒト』)。
 よく言われてきたことだが、この世で人間の赤ちゃんほど弱い存在はない。生まれてきてから9ヶ月くらいたっても立ち上がることもできず、ようやく這って進むだけ。まことに生き物として頼りない。では、なぜ「発達阻害プログラム」が働いたかというと、環境が激変し、かえって成長しないほうが好ましい状況が生まれたからだということになる。いまの世の中のように環境が激変しているときは、あまり深刻にならず、できるかぎり遊び続けることが一番ではないか。いくらがんばっても何事もなるようにしかならないのだから。「甘い生活」、旅、くだらないジョーク、愛の睦言、競馬、カジノ、ダンスパーティ・・・・・こうやって「発達阻害プログラム」を作動させると、ぼくらはいったいどこに向かうことになるのだろうか。もしかしたら、天使?


note:
クライブ・ブロムホール『幼児化するヒト―「永遠の子供」進化論』河出書房新社(2005年)


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