東大卒業前後のこと
2026年4月10日
この間ミヅマアートギャラリーの三潴さんの『アートにとって価値とは何か』(幻冬舎文庫)が発売されて、久しぶりに読んで文庫解説を書かせてもらった。三潴さんといえば1990年代からほぼ30年以上にわたって毎月飲んだり食べたり遊んだりしてきた友人なので、いくらでも書くことはあるのだが、初めての出会いから始まって、年がら年中彼のシンガポールのマンションに遊びに行ってカジノで遊んで散財したことまで書きだしてから、やっぱりそんなことはあまり書きすぎてもいけないと思って差し控えたのだった。それはともかく、この本は現代アートを知るうえでベストの本なのでみなさんぜひ読んでみてください。
ぼくは大学で卒業した学科が文学部の「宗教学科」ということで、仏教とかキリスト教とかを研究しているヒトだと思われがちだが、実はそういうわけではないのだった。そんなことより、ぼくが卒業単位を得たのは「宗教学宗教史学科」(以下、宗教学科)ではなくて「フランス語フランス文学科」(以下、仏文科)だということはほとんど誰にも知られてないのではないか。東大文学部で3年に進学するときに仏文科のオリエンテーションに出ていろいろ説明を聞いているうちに、先生ももうひとつだし、学生も多すぎて扱いも雑な感じがあって、なんだかすっかり魅力をなくしてしまったのだった。
その帰りに研究棟をとぼとぼと歩いてちょうど宗教学科の研究室の前を通り過ぎようとしたときに、半開きになっているドアから笑い声が聞こえてきた。ふとのぞくと、そこもオリエンテーションの真最中だった。とはいっても、5~6人の先生方が笑いながら輪になっており、その中央にものすごくかしこまった学生が2人神妙な顔をして坐っていたのである。仏文とはえらい違いだ。あちらは人数も多くて適当にあしらわれている感じでとてもなじめなかった。
ぼくは「あっ」と思ってドアを閉めようとしたのだが、そこにいた先生たちがふとこちらを見て瞬時に全員がぼくに向かって手招きをした。ぼくはしまったと思って「いえ、ぼくは違うんです」と言いかけるのをよそに、「いいから、いいから」とたちまちその輪の中に入れられてしまったのである。
たしかに駒場の教養課程での「宗教学」の柳川啓一先生の講義は抜群におもしろかったこともあったし、テーブルの上には歓迎のビールなどもならんでいて、和気藹々とした雰囲気にのまれたということもあった。しかし、その瞬間から今日まで「宗教学者」を名乗ることになろうとは全く思っていなかった。ぼく以外の二人は、高橋和巳の『邪宗門』を読んで宗教学を選んだというし、もう一人は新興宗教に入っていてその縁でやってきたということだった。
それ以来、東大闘争が終ってからの2年間で、仏文科の卒業単位を取り、教職で選んだ国語の卒業単位を取り、さらに、できるだけ宗教学科の卒業単位を取るために獅子奮迅の努力が必要となった。おまけに仏文科の大学院のブロック先生のフランス語で行われる少人数の講読クラスまでとっており、さらに卒論にはフランス語のかなり長文の要旨も必要だったこともあって、ほとんど眠れない日々を過ごしたのだった。
そんな努力も報われて、仏文科を卒業するに足る単位も取れたし、高校の国語の教職の資格も取れたし、宗教学科の単位もそこそこ取れたのだった。そんなことができた時代だった。ぼくは卒業式にも出ていないし、これからどうしようかと思っていた時期だったので、とにかく宗教学科の大学院を受けてみようと思い、それから猛勉強して今度は晴れて「宗教学科」の院生になったのであった。
それからのことはまた別に書いてもいいけれど、なんと大学院に進んですぐに普通の商業雑誌に原稿を書く場を与えられて、たちまちのうちに忙しい毎日に巻き込まれていくのだった。
keiji ueshima