2012 週刊文春 5/31号

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週刊文春 2012年5月31日号

文春図書館 活字まわり
「世界の全ての記憶」 植島啓司 16

 先日、阪急電車に乗っていたときのことである。隣の席に若くてふっくらとした女性が座ったのだけれど、やや窮屈な具合になり、お尻がくっついてしまったのだが、彼女にはあまり意に介する様子が見られなかった。しばしば起こることだけれど、改めて女の子にとってはどうなんだろうかと思ったのだった。もし、これがほっそりとスリムな女性だったとしたら、ちょっと肘が触れただけでピクッと反応したり、避けるようなしぐさをすることも多く、なかにはあからさまにイヤな顔をする人もいる。いったいこの違いは何だろう。認知心理学のジェフリー・F・ミラーは『恋人選びの心』(長谷川眞理子訳、岩波書店)で次のように書いている。
 ほとんどの動物は、可愛くて、遊び好きで、発明の才に満ちた存在として始まり、だんだんに、お堅くて、実用的で、いつもどおりのことしかしない存在になっていく。アシュレイ・モンタギューをはじめ大勢の人たちは、人間は、子どもに見られる遊び好きをあとなになってもまだ保持しているのだと述べてきた。このことは、肉体的な成熟に比べて行動的な成熟が遅くなる、人間の「幼形成熟」の主たる兆候だと考えられてきた。
 もしかしたら、ふっくらしているという体型は、「幼形成熟」と同じで、愛くるしく、人に寛容で、ユーモアがあり、生まれつき楽天的な性格とそのまま結びつくのだろうか。そして、同時に、「肉体的な成熟に比べて行動的な成熟が遅くなる」という傾向を持つのだろうか。もちろん、体型だけで判断できることではないけれど、こちら男性としては一々ピクッと反応されるよりも「それくらいどうぞ」という(か、意識しない)女性を好きになるのは当然のことだろう。自分自身を振り返ってみても、ずっとお尻の大きな女性が好きだったのには、そうした理由があったのかもしれない。もしかして、女性にも同じ傾向がある?