2012 週刊文春 1/26号

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週刊文春 2012年1月26日号

文春図書館 活字まわり
「世界の全ての記憶」 植島啓司 12

 ちょっと不潔に聞こえるかもしれないが、必死に仕事をしているときにはシャワーを浴びたり風呂に入ったりするのは邪魔でしかない。ぼくの場合ほとんど着替えさえしないことが多い。適当に食事したり清潔に気をつけたりしながら仕事なんかできない。
 そもそも清潔さとは何か。古代ローマでは、「美しさと清潔さは長いあいだ反比例され、19世紀になってようやく体の清潔さに関心が払われるようになるが、足は1週間ごとに、髪は2ヵ月に1度、歯は少なくとも週に1度はみがくべしという状態だった」ドミニク・パケ著、石井美樹子監修『美女の歴史』監修者序文より)という報告もある。毎日シャワーを浴びるなんていう習慣はごく最近のものらしい。
 有名なところでは、ナポレオンが妻ジョセフィーヌに「いまから帰るけれど風呂には絶対に入らないでおくれ」と命じたというエピソードもあるし、鼻先にブルーチーズを持ってこられ、「おお、ジョセフィーヌか、今夜は勘弁してくれ」と寝言を言ったというジョークまである。ジョセフィーヌはナポレオンより六歳年上で、彼女の振りまくフェロモンに彼はたちまちノックアウトされたようである。しかも、彼女は恋多き女で、夫の遠征中に九歳年下の大尉と浮気したのが発覚したこともあるし、次々と愛人をつくり浮気をくりかえしたことでもよく知られている。どうやら恋の決め手は体臭だったらしい。
 かつてインドネシアに人類学の調査に出かけた折、バリやスマトラの人々が毎日二度水浴びをするのを知ってびっくりした記憶がある。彼らはヨーロッパの人々よりはるかに清潔なのだった。しかし、本来、人はみな体臭によって好きキライがわかるようになっているわけで、それはそれで相手を選別するのに便利だったにちがいない。どうやら毎日のようにシャワーを浴びるようになって、恋の相手も見つかりにくくなったのではなかろうか。


note:
ドミニク・パケ『美女の歴史― 美容術と化粧術の5000年史』創元社(1999年)

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