2011 週刊文春 1/27号

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週刊文春 2011年1月27日号

文春図書館 活字まわり
「世界の全ての記憶」 植島啓司

ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云うことを聞くがよい
芥川龍之介「運」

 これは、その日の暮らしにも困っていたある女性が、清水寺の観音さまに願かけに三十七日間お籠りをしたあげく、最後の夜に聞こえてきた言葉だという。その夜、お寺からの帰り道、背後から暴漢に襲われ八坂の塔の中へと連れ込まれてしまう。夜が明けて、こうして出会ったのも何かの縁だろうから、夫婦にならないかと持ちかけられ、これも観音さまのお告げかと、彼女は承諾するのだった。ところが、男が出かけたすきに塔の奥を覗いてみると、そこには砂金、珠玉、絹織物など金目のものがいっぱい眠っている。明らかに男は強盗にちがいなく、あわてた彼女は見張りの老婆とつかみあいになり、ちょっとしたはずみで彼女を殺してしまう。そして、逃げるように知人の家に身を寄せていると、先ほどの物盗りの男が検非違使らに縄をかけられて往来を往くのを目撃することになる。
 結局、彼女は物盗りから得た財産でその後何不自由なく暮らしていくことができたわけだが、そういう意味では観音さまは約束を守ってくれたことになるのかもしれない。ただ、最初に読んだときには、これは良運というより悪運であって、「願いが叶うことより叶わないことのほうがいいこともある」と思ったものである。
 いま改めて読み直してみると、神仏に願う以前の彼女の悲惨な境遇を思えば、これはこれでいいのかもしれないと思うようになった。なにしろ、この一連の出来事は彼女自身の判断によるものではなく、観音さまに導かれたものである。自分の責任だと考えれば、ずいぶん重い宿命を背負ったことになるわけだが、神仏の導きとなれば、だれの責任ということでもなくなってくる。まさに他力本願とはこのことではないか。結果オーライと読み解きたい。