2011 kotoba 冬号

[集英社クオータリー] コトバ第2号 kotoba 2011年冬号
特集=「脱成長」の経済を生きる。
株式会社集英社
2010年12月6日

P134- 139

幸福に結びつく豊かさとは?
世界最貧国ネパールで考える

GDPの上昇に血道を上げてきた日本などの先進諸国。
しかし今、日本で幸せを感じている人は何人いるだろうか?
世界中を見わたせば、経済的・物質的には貧しくとも、
精神的な豊かさを享受している国もある。
世界最貧国の一つネパールの首都カトマンズで、
日本人が忘れてしまった人間の幸福の姿について考えてみる。

植島啓司 文・写真

パシュパティナートにて 
 ネパールのカトマンズにあるバグマティ川のほとりを歩いている。この川はいくつかの支流と合わさって、遠くガンジス河へと続いている。ここはヒンドゥー教の聖地パシュパティナート。このバグマティ川の汚染はひどく、ここを流れるときは水量も多く、まだそれほど汚れは目立たないのだが、カトマンズ市内を流れるともはや「死の川」というほかない状況となる。
 初めてここに来たのが一九八〇年だったから、毎年のように訪れてすでに三〇年になる。ここパシュパティナートでは毎日のように火葬が行われており、いつも煙が立ち込めている。初めはやや抵抗があった火葬の煙もいまではほとんど気にならない。ヒンドゥー教徒の人々は死んだらここで荼毘に付され、その遺灰はすべてバグマティ川に流される。しかし、火葬が行われる川岸のガート(左ページ写真)の下では腰まで水に浸かったままその処理を行う人々がおり、また、そのすぐ近くでは子どもたちが水に飛び込んだり、泳いだりしている。洗濯したり、食器を洗ったりする女性の姿を見かけることもある。まさにここでは生と死が渾然一体となっており、死はわれわれにとってまるで特別なものではないような錯覚にとらわれる。
 ご存知のとおり、ヒンドゥー教徒も仏教徒も死んだらその遺灰はすべて川に流される。もちろん死後には墓も仏壇もつくられない。潔いと思うほど何も残さない。そんなことより幸せに死なせてあげることのほうに重点が置かれているのだ。バグマティ川の近くにはいまではよく知られている「死者の家」がある。身寄りのない者や死を覚悟したものがそこで死ぬまでの時間を過ごす建物である。ここでは、なにより死に対する周到な準備が欠かせない。死は突然襲ってくるものではなく、人々は自分で死を選び取るのである。
 最近、父や身近な人々が相次いで死んだこともあって、これまでとはまた違った心持ちでガートでの火葬や死者の家を眺めて過ごすことになった。いったいどのようにして死を迎えるべきなのか。最近、ぼくは『生きるチカラ』(集英社新書)のなかで、古代ローマのルクレティウスの言葉を引用し、「なぜ、たっぷりと食べた客のように、人生から立ち去らないのか」と書いたばかり。人生を大いに謳歌するためには、「もうおなかいっぱいおいしいものをいただいたので大満足です」とレストランを出るときのように、人生から立ち去るべきではないか。どうして死を悲劇的なものとしてしか見られないのだろう。ずっとそう思ってきた。では、日本で生きて死ぬのとネパールで生きて死ぬのとでは、どちらが幸せなのだろうか。
 物質的な豊かさが精神的な豊かさと一致しないのは当然のことだし、むしろ、しばしば相反することがあるのもよく自覚している。では、いったいわれわれは果たして以前と比べて幸せになったのかどうか。この半世紀余りのあいだに何を得て何を失ったのか。そんなことを考えながら一日中パシュパティナートで過ごしたのだった。

幸福度調査
 世界最貧国の一つといっても、ネパールにいてそれを実感する機会はそれほど多くなかった。いつもカトマンズ周辺に滞在しているからかもしれない。特にカトマンズ市内のタメルにいると、欧米から来た人々ばかりで、そこがネパールだということさえ忘れてしまう。ただ、カトマンズがどんどん住みにくくなっているのは事実で、盆地のせいか、カトマンズの大気汚染はもはや許容しがたいレベルになっている。おそらく世界最悪レベルではないか。自動車の関税を二〇〇パーセント以上にして海外からの流入を阻止しようとしても、いまや自動車とバイクの数の増大はだれにも阻止することができない。
 国民の八〇パーセントが農業に従事し、つねに世界最貧国リストのワースト一〇以内に数えられてきたネパールにも近代化の波は押し寄せてきており、GDP(国内総生産)の数値だけ見ればかなり上昇していることは間違いない。それでも、統計上一人当たりのGDPからすると、ネパールはブータンの三分の一にすぎないといわれている。貧富の差がさらに広がるのは時代の趨勢というほかない。
 しかし、いつもながら貧しい国ではあるものの、ある幸福度調査のデータによれば、GDPが世界でトップクラスの日本よりネパール国民のほうが幸福度は上という結果も出ている。いったいどうしてそういうことになったのか。いや、どの調査でも、日本はだいたい八〇位あたりにとどまっているようであり、いまや政府がそれを取り上げて調査を指示するほど危機的な状況になっている。ネパールはたしかに貧しいけれど不幸と断定することはできない。それに対して、日本は国土も豊かであり、経済的には何不自由ないはずなのに、国民の多くが自分は不幸だと思っているのである。
 そんなわけで、最近何かと話題の幸福度調査というものについてちょっと調べてみた。その結果は調査機関によってかなりばらつきがあり、いかに「幸福度」を調べるのが難しいかということを逆に明らかにしたのだった。とにかく一番新しいものから見ていこう。二〇一〇年アメリカの世論調査機関ギャラップが二〇〇五年から二〇〇九年にかけて世界一五五ヵ国を対象にした調査では、以下のような結果が出ている(『フォーブス』誌参照)。

一位 デンマーク/ 二位 フィンランド/ 三位 ノルウェー/ 四位 スウェーデン…..(つづく)