2012 週刊文春 6/28号

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週刊文春 2012年6月28日号

文春図書館 活字まわり
「世界の全ての記憶」 植島啓司 17

 人間の小さなことがらに対する敏感さと大きなことがらに対する無感覚とは、奇妙な入れ替わりを示している。 パスカル『パンセ』
 ぼくのマンションはやや広めのワンルームで、ベッドと本しか置いていない。しかも、かれこれ六、七年は経つのに、ほとんどベランダに出たこともない。そんなある日、ふと窓を開けてみると、そこには大量のハトの群れ、そしてベランダの床にはハトの糞がいっぱいだった。友人に相談してCDをヒモで吊るしたり薬を撒いたりいろいろ試みたがどれも効果なし。
 窓を開けると、彼らは一斉にこちらを見るのだが、いかにも「うちになんの用があるの」と言わんばかり。どちらが主人かわからない。しばらく我慢していたのだが、やはり近所にも迷惑がかかることだし、管理会社に電話して見てもらうことになった。午前九時、応対がていねいな男性がやってきた。
「たしかにひどいですね。ヒモ張りますか?」
「そんなんで大丈夫ですか?」
「ほら、お隣も・・・・・」
 よく見ると、隣の部屋のベランダにはさりげなく透明なヒモが張られていて、ハトの影ひとつない。そういう手があったのか。男性は、とにかくこちらで何とかしますからと言って、帰りがけに名刺をくれた。会社名のところを見ると「株式会社ハトル」とある。ハトル。もしかしてハトを捕まえることを専門とする会社なのだろうか、いや、それだけやる会社なんてあるのだろうか。この会社はもしカラスの害について問い合わせを受けたら、「それはうちの専門じゃないので」と断るのか。
 以来、ハトルという単語が頭にこびりついて離れない。洋書専門店で「タトル商会」というのがあって、学生時代ずいぶんお世話になった。そんなことまで思い出されてくる。電話して聞くのもなんだし、調べるのもおとなげない。そう思いつつ、今日でちょうど一週間経ったところである。


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